ひすいこたろうさんのブログ「名言セラピー」から紹介します。
———————————–
「さあ、クイズの時間だ!」
大学のある授業で、教授はそういって大きな壺を取り出しました。
そしてその壺に、ひとつひとつ石を詰めていきました。
壺がいっぱいになるまで石を詰めると、教授は聞きました。

「この壺はもう満杯かな?」

教室中の学生が「はい」と答えました。

「本当?」

教授はそう尋ねながら教壇の下から、
今度はバケツいっぱいの砂利を取り出して、壺のなかに流し込みました。
そして、もう一度聞きました。

「今度こそ満杯かな?」

「多分違います」と、ひとりの学生が答えると、
教授は笑いながら教壇の下から、
砂利よりもっと細かい砂の入ったバケツを取り出し、
それを石と砂利の隙間に流し込みました。
そして、3度目の質問をしました。
「いよいよ満杯かな?」

学生たちは、「イヤ、まだ入りそう」と答えると教授はニヤッと笑い、
今度は水差しを取り出し、水を壺のふちまでなみなみと注ぐといいました。

「先生が何をいいたいかわかるかな?」

ひとりの学生が、
「どんなに満杯に見えても、努力をすれば、
まだまだ詰め込むことができるということですか」と答えると、
教授は「そうではない」と。

「先に大きな石を入れないと、
それが入る余地は、そのあと二度とないということだ。
この壷は人生そのものを示している。
では私たちの人生にとって、大きな石とはなんだろう?
それは仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、
家族であったり、自分の夢であったりする。
つまり、『大きな石』とは君たちにとって一番大切なものだ。
それを最初に壺のなかに入れなさい。
さもないと君たちは、それを永遠に失うことになるだろう」

さあ、あなたの人生にとって、一番大きな石とはなんでしょうか?

「一番大事なものに
一番大事ないのちをかける」
これは、詩人の相田みつをさんの言葉ですが、
一番大切なものを、一番大切にしながら生きる。
それが人生最後の日に、後悔なく死ねる、
たったひとつの生き方です。

アスファルトを突き破って芽吹いてくる雑草を見たことがあると思います。
雑草は、ずっと見ていてもまったく生長しません。
しかし、じわりじわりと伸び、
ついにはアスファルトを突き破り、地上に出てくる力を持っています。

なぜそんなことができるのか?

それは一番大事にしたい所、ここを突破するという
「一点」が決まっているからです。
一つの所に懸命に生きる。
これぞ「一所懸命」です。

「命」とは、あなたの「持ち時間」です。

持ち時間は、刻一刻と減っている。
しかし、雑草の例でもわかる通り、安心していいんです。
人生は、すべてを成すには短いが、
一番大切なことを成すには、十分なゆとりがあるからです。

あなたは、一番大切にしたい「大きな石」が決まっているでしょうか?
「生きる理由」が決まっているでしょうか?
どう生きたらいいか見えているでしょうか?

見えていない人は、どうでもいいことや、
目の前のやらなければいけないことばかりに時間(命)をとられ、
壺の残りの容量が減り、
結局、一番大切なものが入らなくなってしまうのです。

大きな石が決まっている人は、
やらなければいけないことに追われる人生ではなく、
やる価値のあることを追いかける人生を送れます。

お金よりも大切なのは、「時間」(命)です。
当たり前の事実をみんな忘れているんです。
いま僕らは、お金のために、有限の時間(命)をきり崩して、
小さな石から壺に入れてしまっているんです。
———————————–
あなたの大切なことは何ですか。
あなたは何に時間(命)を使いますか。